何度か見返す映画に山下敦弘監督の「リンダ リンダ リンダ」があります。
僕は山下監督の作品が好きで「リアリズムの宿」「天然コケッコー」「マイ・バック・ページ」など
いくつか作品を観ているのですが、その中でも「リンダ リンダ リンダ」が一番好きです。
あらすじは以下の通り
とある地方都市にある高校。文化祭を数日後に控えたある日、軽音楽部所属の5人組のガールズバンドがギターの骨折を発端に分裂してしまった。ギター、ボーカルがバンドを離れたが、ステージに立つことを諦めなかった3人。彼女たちはたまたま目の前を通った韓国からの留学生をボーカルに引きいれ、THE BLUE HEARTSのカバーを目指す。文化祭ライブ当日まであと3日。寄り道だらけの4人の練習が始まる………。
引用 – Wikipedia
あらすじだけ見ると
単純な青春ものかなと思わなくもないのですが
この映画の良いところは、その青春の立ち上がり方で
全く押し付けがましくないんですね。
青春ストーリーを伝えるために映像が使われているという無理がない。
力学的には逆で
映画として力のある「絵」を重ねていくことで
彼女らの物語が初めて動きだすという構図。
映像として伝わってくるのは
「何かが起きそう(ブルーハーツだけに)」という潜在性の高さであって
物語自体は観る側の方で立ち上がってくる感じがあります。
だから観るたびに物語の立ち上がり方が微妙に変化するんです。
だから飽きないし、観るたびに何か気づきや感動がある。
また、映画という一つの「嘘」に対して、
山下監督がちゃんと敬意のようなもの抱いているんだなと感じさせるところも好きな理由の一つです。
それを表す象徴的なシーンが映画の後半にあります。
学校に泊まり込むなど、連日のハードなバンド練習で意識が遠くなっていた立花恵(香椎由宇)が、
目を覚ますために洗面所に顔を洗いに行くという場面
ソン(ペ・ドゥナ)もあとから顔を洗いに来るのですが、
この時ソンは恵にバンドメンバーとして誘ってくれた感謝を言葉にします。
ただ、その言葉は韓国語で語られるのです。
ソンはそれまででも興奮すると韓国語で話し出す瞬間があり
恵含めメンバー達は「何を言っているかわからないよ」とツッコミを入れていたのですが
この時ばかりは「何!急に、、」と恵は即座に受け答えをします。
展開的にはこのシーンは恵の夢だったという落ちではあるのですが
映画という時間軸において、夢なのか現実なのが、どちらか判然とはしないところで
このシーンは描かれています。
近松門左衛門の「虚実皮膜」の話ではないですが
「芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの也」
「虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰が有るもの也」
夢か現か判然とはしない境目で描かれることによって
この二人の言語を超えた深い交流という感動的なシーンが
説得力を持って立ち上がってきます。
(さらに秀逸なのが、このシーンのカメラワークが
「虚」を象徴的に表現する「鏡」からのアングルなんですね)
バンドを組む前までは
クラスの中で目立つタイプで華のある恵と
アジアからの地味めな留学生としてのソン
映画の最初では、どちらもステレオタイプに押し込められているのですが
二人の人物像が丁寧に描かれていくことで、それぞれの固有性が立ち上がってきます。
固有性を持ち得た時、それまで表面上の付き合いしかなかった二人が
(二人がバスで帰るシーン。同じ通学路だということをソンは知っていましたが恵は知らなかったという描かれ方をしています。)
深いコミュニケーションで結ばれる瞬間は本当に感動的です。
「映画だからこそ」味わえる感動が僕は好きなのですが
リンダ リンダ リンダはそんな1本です。