私事ですが、菊地には一歳半になる娘がおります。とにかく、それはもうかわいくてかわいくて…と、ここで娘自慢をしたいわけではなく、ちょっと彼女と一緒にいることで気づいたことを今日は書きたいと思います。
この前娘と二人きりで近所の公園を散歩していたのですが、当然一歳半なので、もう、こちらの心配などお構いなしに、まぁ好き勝手に動き回るわけです。必然的に彼女の好奇心が向かう先や、一つ一つの動作に120%気を配り一緒にいることになるのですが、そうして彼女の目線に立って行動をともにすると、普段気づいていない景色に気づけたり、聞こえていない音を耳にすることができたりして、非常に面白い体験でした。
見えない情報に目を凝らし、耳をすます。
例えば、今まで夢中でキャッキャしていたかと思うと、急に黙って視線を変えるので何だろうと思って、そちらを見ると風が吹いて木が揺れ、葉っぱが擦れた音がなっていることに気づいたり、何気なく歩いている砂利道で娘が立ち止まり石をひろうと、微妙に他とは形が変わった石であることに気づいたり、そういう発見があるのです。そういった情報は大人としては当然、目には入ってはいるのですが、意識が向かっていないのでキャッチできていなく、認識まで上がってこないわけです。
で、ふと、その散歩で「あ、ユーザー視点ってこういうことだな」って腑に落ちるところがありました。
ユーザー視点の罠
Web制作においてターゲットを決め、ペルソナを設計し「誰に」向けての情報なのかということは、言うまでもなく非常に重要な要素になり、僕らも、決まり文句のように「ユーザー視点で」「ユーザービリティが」ということを口にするのですが、そこで結構陥りがちで、注意しなくてはいけないポイントがあり、「ユーザー視点・ユーザビリティ」と口にしつつも、サービスやサイトに都合の良いペルソナを想定してしまい、いつのまにやら、現実には存在しないペルソナになってしまうということがあったりします。
ユーザー視点って愛だし思いやりなんじゃないか
大切なのは想像力をフル活用して、ユーザーの視点や感情に心底寄り添うこと。今回娘との散歩では実際目の前に、その存在(愛しい)がいて、それこそ120%彼女に寄り添うことで気づけた視点があったわけで、でも通常のペルソナの設計においても、実はそれくらい潜り込んでいかないと、本当のユーザー視点とういのは獲得できないのではないかなと、そんな風に思いました。
娘よ。ありがとう。お父さんは頑張るよ。