ギャンブル学入門 その1

みなさん、ギャンブルはお好きですか?私はギャンブルを嗜みます。ギャンブルというと、退廃的で身を崩す悪いイメージを持っている方も多いかと思いますが、ギャンブルにもよいギャンブルと悪いギャンブルがあります。よいギャンブルには美学があり、自分との対話があります。今日は、そんなギャンブル学のさわり、いくつかの大衆的なギャンブルについてご紹介いたします。

私が考える、よいギャンブルの条件とは、

  1. 「決断」の余地がある。
  2. 信じられる程度の「期待値」がある。
  3. ユニークな「ゲーム性」がある

という3点です。

ゲームの中で、期待値と自分の状況を天秤にかけ決断する。という一連の流れの中に、自分自身の「決断について」の考え方を見つけることができます。

1.『宝くじ』

omg

みなさんご存知の宝くじ。テレビでもバンバン広告が流れているので、クリーンな印象がありますね。買われている方も、ギャンブルをしているという意識は低いのではないでしょうか?

宝くじの歴史は古く、富くじという呼び名で親しまれていました。江戸時代あたりに神社や寺の修復費用を集めるなどの目的で発行されていたとかなんとか…。

さて、宝くじのメリットは、
【1】高額当選。
【2】(買いすぎなければ)悪いイメージがない。

ということでしょうか。
その分勝つ確率は極端に低く、一種のイベントへの参加のように捉えることができます。

よく「夢を買っている」なんて表現がありますが、個人的には期待値が低すぎて「夢のまた夢」という表現のほうが近いです。

しかしながら、宝くじは、
【1】期待値が低すぎる
【2】どの売り場で買うか、しか選択肢がない。

ということも言えるでしょう。

よって、ギャンブル学から見た宝くじは、
【決断の重要性】 …★☆☆☆☆
【期待値】    …★☆☆☆☆
【ゲーム性】   …★☆☆☆☆
【夢のまた夢】  …★★★★★

となります。

※私も宝くじはたまに好んで買います。ですがそれはギャンブルのおもしろさとは別のものです。

 

2.『競馬』

競馬

言わずと知れた国営ギャンブルです。

元々は16世紀ごろ、イングランドではじまったと言われています。簡単に言うと、馬に競争させて、どの馬がいちばん早いかを予想する。というシンプルなギャンブルです。ですが、生き物である馬と、生き物であるジョッキー(騎手)が共に競争するためか、ものすごく奥深いギャンブルとして完成しています。

日本では、国営ということもあり、こんなに研究されているギャンブルもないのではないでしょうか?素人でも、競馬新聞や予想屋の話を聞いて、カジュアルに予測することができる、というのも利点です。どの馬に賭けるか。そんなシンプルな決断の中で、自分が何を大切にするのかを知ることができるでしょう。

競馬をよく象徴している、寺山修司のある詩を紹介します。寺山修司もまた、競馬を愛した人の一人でした。

※ハイセイコウという伝説に残るほど強い馬にまつわる詩です。
少し長いですがそのまま紹介します。

ふりむくと

一人の少年が立っている
彼はハイセイコーが勝つたび
うれしくて
カレーライスを三杯も食べた

 

ふりむくと

一人の失業者が立っている
彼はハイセイコーの馬券の配当で
病気の妻に
手鏡を買ってやった

 

ふりむくと

一人の足の悪い車椅子の少女がいる
彼女はテレビのハイセイコーを見て
走ることの美しさを知った

 

ふりむくと

一人の酒場の女が立っている
彼女は五月二十七日のダービーの夜に
男に捨てられた

 

ふりむくと

一人の親不幸な運転手が立っている
彼はハイセイコーの配当で
おふくろをハワイへ
連れていってやると言いながら
とうとう約束を果たすことができなかった

 

ふりむくと

一人の人妻が立っている
彼女は夫にかくれて
ハイセイコーの馬券を買ったことが
たった一度の不貞なのだ

 

ふりむくと

一人のピアニストが立っている
彼はハイセイコーの生まれた三月六日に
交通事故にあって
目が見えなくなった

 

ふりむくと

一人の出前持ちが立っている
彼は生まれて初めてもらった月給で
ハイセイコーの写真を撮るために
カメラを買った

 

ふりむくと

大都会の師走の風の中に
まだ一度も新聞に名前の出たことのない
百万人のファンが立っている
人生の大レースに
自分の出番を待っている彼等の
一番うしろから
せめて手を振って
別れのあいさつを送ってやろう
ハイセイコーよ
お前のいなくなった広い師走の競馬場に
希望だけが取り残されて
風に吹かれているのだ

 

ふりむくと

一人の馬手が立っている
彼は馬小屋のワラを片付けながら
昔 世話をしたハイセイコーのことを
思い出している

 

ふりむくと

一人の非行少年が立っている
彼は少年院のオリの中で
ハイセイコーの強かった日のことを
みなに話してやっている

 

ふりむくと

一人の四回戦ボーイが立っている
彼は一番強い馬は
ハイセイコーだと信じ
サンドバックにその写真を貼って
たたきつづけた

 

ふりむくと

一人のミス・トルコが立っている
彼女はハイセイコーの馬券の配当金で
新しいハンドバックを買って
ハイセイコーとネームを入れた

 

ふりむくと

一人の老人が立っている
彼はハイセイコーの馬券を買ってはずれ
やけ酒を飲んで
終電車の中で眠ってしまった。

 

ふりむくと

一人の受験生が立っている
彼はハイセイコーから
挫折のない人生はないと
教えられた

 

ふりむくと

一人の騎手が立っている
かつてハイセイコーとともにレースに出走し
敗れて暗い日曜の夜を
家族と口をきかずに過ごした

 

ふりむくと

一人の新聞売り子が立っている
彼の机の引き出しには
ハイセイコーのはずれ馬券が
今も入っている

 

もう誰も振り向く者はないだろう

うしろには暗い馬小屋があるだけで
そこにはハイセイコーは
もういないのだから

 

ふりむくな

ふりむくな
うしろには夢がない
ハイセイコーがいなくなっても
すべてのレースは終わるわけじゃない
人生という名の競馬場には
次のレースをまちかまえている百万頭の
名もないハイセイコーの群れが
朝焼けの中で
追い切りをしている地響きが聞こえてくる

 

思いきることにしよう

ハイセイコーは
ただの数枚の馬券にすぎなかった
ハイセイコーは
ただひとレースの思い出にすぎなかった
ハイセイコーは
ただ三年間の連続ドラマにすぎなかった
ハイセイコーはむなしかったある日々の
代償にすぎなかったと

 

だが忘れようとしても

眼を閉じると
あのレースが見えてくる
耳をふさぐと
あの日の喝采の音が
聞こえてくるのだ

私は、競馬を経験するよりも前にこの詩に触れたのですが、

ふりむくな
ふりむくな
うしろには夢がない

というフレーズが大好きでした。

この詩から、競馬というギャンブルの正体が垣間見える気がするのです。

そんなわけで、ギャンブル学から見る『競馬』は、
【決断の重要性】 …★★★★☆
【期待値】    …★★★★☆
【ゲーム性】   …★★★☆☆
【なんか難しそう】…★★★☆☆
【ロマンチック】 …★★★★★

となります。

 

さて、今回はここまで。
次回は『麻雀』と『スロットマシーン』あたりに触れたいと思っています。

なお、本コラムは身を滅ぼすようなギャンブルを推奨するものではありません。ギャンブルを知り、人生をよりよいものにするための一助となる学問のおはなしです。