悩めるディレクターのための覚書

こんにちは。ディレクターの菊地です。
さて、早速本題ですが、ディレクターという職務は業務範囲も広く、クライアントや営業と制作チームの板挟みになることも多く、何かとストレスを感じやすいポジションだなと思うのです(ま、どんなポジションでも、それぞれ特有のストレスはありますが)。
かくいう私も相当に苦しんだ経験があります。それは、もう本当に…

でも、最近ありがたいことに、そのストレスがかなり減ってきました。なんでそうなったのか。
当然、要因は一つではなく、環境やタイミングによる所も、もちろんあると思うのですが、でも、トライ・アンド・エラーを繰り返し、痛みを真正面から受け取り、血みどろになりながらも、そこを抜け出してきた経験からは、少なからず抽出できる要素はあるのかなと。
そのあたりを本日は書いてみたいと思います。

自分と同じように悩むディレクターの方々が、その泥沼を抜け出す契機になれば嬉しいですし、何より自分がまた同じような状況にならないためにも、(形は違えど仕事のステージが変わることで、そういった状況は繰り返されるものだとも思います)ちゃんと考えてみようと思います。

ストレスの要因

私がディレクションに苦しんでいた当時、何に苦しんでいたのか、先ずはそこを分析する所から始めてみたいと思います。

ストレスの要因

私が感じていた悩み

  • 当たりをつけること(予測)ができない。だから着手時めちゃくちゃ不安。
  • 時間に追われて優先順位をつける余裕がない
  • 社内外、どちらとも意思疎通に時間がかかる
  • 質問や要望を投げかけられた時の返答に無駄に時間がかかる
  • マルチタスクで集中力が散漫
  • インプットする余裕が時間的にも精神的にもない

今思い返しても「うっ…」ってなります(笑)。苦しかったです。またそんなディレクターに携わる、周りの人たちに対しても本当に申し訳なかったなと。

上記の状態って、課題が独立してあるわけではなく、どれも複雑に絡み合って、負のスパイラルを生み、とにかく生産性が落ちる。
そりゃ苦しいですよね。周りで見ていても気持ちよくない状態だと思います。
上記の状態って一回ハマるとそんなに簡単に抜け出せるものではありません。私も簡単には抜け出せませんでした。

でも、面白いもので抜け出す時は一瞬です。
矛盾するような言い方になりますが、抜け出すまでに時間はかかる→でも抜け出す瞬間は一瞬(少なくとも体感的には)。

これは体験したからわかることなのですが、よく言われる努力と成長の関係って決して比例せず、成長は二次曲線的にある瞬間「ぱっ」と現れるんです。本当にそうでした。ある瞬間景色が突然変わっていて、後から気づくんです「あ、知らないうちに抜けていたな」と。
その渦中にいる時には、言語化が出来ないのです。それらは後述的に獲得される。だからこそ、振り返ることが重要だと考えています。

抜け出すための足がかり「型の獲得」「習熟」「楽しむ(姿勢)」

抜け出すための足がかり「型の獲得」「習熟」「楽しむ(姿勢)」

なぜ抜け出せたか。それを紐解いてみると上記の3つのポイントがあったように思います。
まだ、これは考えている(実践している)最中なので、明確な答えではないですが、答えのような輪郭は見えてきました。
その輪郭をトレースしてみると上のようなポイントがぼんやりと見えてきた感じがします。

「型の獲得」

これは、もうそのまんまなのですが「型」を覚えること。
知識として知っているのではなく、実際に使って体に馴染ませること(だから型)。
ビジネスで使える型(フレームワーク)はたくさんあります。悩みの渦中にいる中、私もそれなりにフレームワーク的なことは知ってはいました。でも使えていなかった。自分のものとして血肉化できていなかった。

これは、2つ目のポイントとも関係する所なのですが、体に落とし込むには、とにかく話して、書いて、描いて、実際に使ってみることが重要です。そうしないと使い物にならないし害悪になることすらある。ちょっとうまく言えない所もあるのですが、型はかたちとして、そこにあるだけでは意味がなくて、その人を通してしか(血肉化されないと)力を得ない、そういうものだと思うのです。
また、面白いもので、その人の成長段階や状況に応じて、必要とされる型も違う。型との出会いすら、当事者が実践の中で獲得していくしかないのかなと思います。

ただ、ディレクションとして、持っておくと良いだろう型はいくつかあるように思うので、それは別の機会でピックアップしてみたいと思います。

「習熟」

これは辞書にある通りですが「ある物事に慣れて十分に会得する」ということ。
上でも書きましたが、実践の中でとにかく「慣れる」こと。クライアントの前で話すこと、デザイナーに説明すること、メールを書くこと、資料を作ること…。これは慣れないと見えてこないことが確かにある。でも、漫然と繰り返していているだけでは「十分に会得する」ことはできない。だから前述の「型」を持つことも重要なのです。

繰り返される事象の中で「コレは重要」「コレは標準化できる」「コレは特殊事例」と仕分けをしていかなくては行けない。繰り返しの中でしなやかな強度を獲得していくためには「型」の視点が、とても重要なのです。

私にとって一番繰り返したことは「ワイヤーフレーム」を作るという情報設計の工程でした。
これは、すこし話がずれるのですが、ディレクター職としてワイヤーフレームを繰り返し作る機会に恵まれたのは自分にとって非常に幸運な出会いだったなと思っています。これも、また別の機会で改めて書きたい内容なのですがワイヤーフレームという「情報の構造を捉え、設計し、視覚化する」という繰り返しは、あらゆる課題解決への取り組みの一歩として、非常に有効だと感じています。

私はワイヤーフレームを作りながら、それの習熟度を上げていくとともに、自分の課題自体へも取り組むことができた、そのようにも感じています。(やはり、この話は長くなりそうなので別の機会に書こう)

「楽しむ(姿勢)」

これは、モノゴトへの取り組みを主体的に関わるようにするということと同義だと思っています。
目の前に訪れる事象(今回で言うと仕事ですが)を、「やらなきゃ」という受身的に捉えるのか「やろう」もしくは「やりたい」という姿勢で取り組むのか。精神論の話のようですが、これ実はモノゴトを相対的に見るというリアリティへの接し方だとも思っていて。事実は決して一面的なものではなく、見る向きやタイミングによっていかようにでも変わると思っています。それがリアルだと。仕事に限らずストレスフルな状況にある時というのは往々にして視野狭窄に陥っていることが多い。そういった時に導き出される答えは、問題の所在を一面的に捉えがちです(その多くが愚痴という他責の形をとる)。

でも、リアルってもっと豊かなはずです。少なくとも私の経験はそうでした。苦しんでいる時は問題を短絡的に捉えすぎていて「相手が悪い」「自分が悪い」どちらかに偏っていてバランスが悪かった。そんなわけはないのです。リアルはもっと「あいだ」にある。具体例を上げるとあまりにも卑近すぎる(あとこのブログが長くなりすぎる)ので、ここでは上げませんが、事実そうでした。

まとめ

まとめ

まとめられない(笑)。
会社のブログという形態にはそぐわないかもしれない内容で、しかも、まとめきれていませんが、でもちょっとこのタイミングで書いておきたかった(笑)。ちょっとこれを起点にもう少し、この記事自体をブラッシュアップするか、別記事で書いていきたいと思います。