「マネージャーは必要」か?

なぜマネジメントについて考えるのか

デザイナーがデザインの大切さを語る。アーティストが表現の深さを語る。ビジネスマンが意思決定の重さを語る。日常やSNSで見るとポジショントークに聞こえてダサく感じてしまうが、ドキュメンタリー映像で見ると、プロとしての苦悩を格好よく感じる。この違いはなんだろう。

自己紹介が遅れました。2026年6月入社、ディレクションを担当しています井上です。キャリアとしては制作会社でデザイナーとして勤めた後、フリーランスとして広告クリエイティブに携わり、その後広告代理店でディレクターとして働きながら、100時間以上のマネジメント研修を受け、クリエイティブ部門のマネージャーを勤めました。

イッパイアッテナでの肩書きは、マネージャーではなくディレクターです。ではなぜマネジメントについて考えるのか。それはマネジメントについて少し距離を置いた今だからこそ、マネジメントについて考えを整理でき、その想いをポジショントークにならずに言葉にできると思ったからです。

「経歴を語った時点で、すでにポジショントークでは?」という指摘があれば、すみません。なお、この記事で指すマネジメントはミドルマネジメント(中間管理職)を指します。

良いマネジメントとは

まず、良いマネジメントとは何か。私はシンプルに売上と利益とエンゲージメントの3点が伸びてる状態だと定義しています。

一般論や手法は割愛しますが、極論マネージャーが何も仕事をしていなくても、売上と利益が伸びてエンゲージメントが高まっているのであれば、立派なマネジメントだと考えています。大事なのは、マネージャーの手段が優れてるかではなく、組織や集団が成果を出せる状態になっているかです。

メンバーが一人ひとりが能動的に働いている状態であるなら、マネージャーが介入しないこともマネジメントです。逆に、マネージャーが部下と懇切丁寧にコミュニケーションをとり、例えエンゲージメントが高かったとしても、売り上げと利益が伸びてない状態であれば、それはマネジメントできてない状態です。

そこで1つの問いが生まれます。マネジメントにマネージャーは必要でしょうか?

「マネジメントはマネージャーの仕事」か?

10年以上前、とあるクリエイティブディレクターに密着したドキュメンタリー番組で、「デザインは崇高なものではない」とデザイナーに伝える場面がありました。

デザインは誰でもできて、もっと身近な存在であるべき。それはデザインを軽く見ているわけではなく、デザインをデザイナーだけの特別なものにしてしまわない。という話だと受け取っています。

また、とあるラッパー曲に「洗濯物干すのもHIP HOP」という言葉があります。

ヒップホップは、格好をつけるためのものでも、アーティストだけのものでもない。何者でもない一人ひとりの日常にもある。というメッセージだと受け取っています。

マネジメントも同じです。崇高なものではないですし、マネージャーだけの仕事でもない。一人ひとりの日常の行動にあるものです。

※何気なく撮った11年前の一枚。洗濯物を干すのもデザインであり、ヒップホップ。

肩書きに期待しすぎない方がいい

肩書きはある種のレッテルです。「会社は成長できる環境を提供する場であり、マネージャーは自分のキャリアを伸ばしてくれる存在」と考えてしまうと、自分で考え、自分で選ぶ責任を手放してしまいます。キャリアの主体は、あくまで自分です。

マネージャーには、責任を設計し、期待値を示し、機会を配分する責任はあります。しかし、プレイヤーも自分の可能性を誰かに依存しきらないのが重要です。

もちろん、マネジメントそのものがなくなるわけではないです。目的の調整、優先順位づけ、資源の配分、意思決定は、誰かが担わなければならない。ただ、それをマネージャーだけが担う必要はあるのでしょうか。一人ひとりが目的と成果に責任を持ち、自分の役割に閉じずに考えられるなら、専任のマネージャーは必要なくなるのかもしれない。今の時代、AIによって、一人でできることはこれから益々増えていきます。そのとき、「自分はこの役割だから」と線を引き続けることに、どれほどの意味があるのでしょうか。肩書きや役割や思い込みで相手のできることを決めつけず、目的と成果に向き合う。肩書きにとらわれず必要なときに必要なマネジメントを担う必要があります。

一人ひとりが”やらされ仕事”ではなく、”やりたい仕事”として自責を持つ。そんな集団がもしあるなら、マネージャーはいらないかもしれないですね。以上、マネージャーという肩書きへの問いと答えでした。

ちなみにこの記事は社内の期限を過ぎての公開なのだが、期限を守らなかった場合、記事を書いても書かなくても食事を奢るペナルティがあるそうだ。うーん、この感情はやりたい仕事がやらされ仕事に変わることへの悲しみか?しかし、それでも書くあたり、やらされ仕事ではなくやりたい仕事か!?お後がよろしいようで!