「さよなら」の作法

先日、会社でお花見をしました。代々木公園の見事な桜の木の下で飲むお酒は格別でした。毎年思うのですが、お花見の時期はまだまだ外で飲むには寒いですね。お花見ではいつも、凍えながらお酒を飲んでいる気がします。
桜は、春の象徴です。出会いと別れを想起せずにはいられない、儚く美しい花です。だからなのか、春の「さよなら」は、儚く美しい思い出です。
僕は、春に「さよなら」というとき、その「さよなら」はあらかじめ定められていたかのように感じることがあります。ほかにも、夏の「さよなら」はまたいつか会えるような気軽さがありますし、冬の「さよなら」はある種の「仕方なさ」を内包した「さよなら」が多いように感じます。
人が「さよなら」と口にするとき、季節や時間帯によってその性質を変えるのは何故なのでしょうか。
「別れ」を辞書で調べると、次のように出てきます。

1 別れること。互いに離れて別々になること。別離。「友との―を惜しむ」「―の日を迎える」「―の杯」
2 別離のあいさつ。いとまごい。「故郷に―を告げる」「―の言葉」
3 死に別れ。死別。「永 (なが) の―」

  • 「世の中にさらぬ―のなくもがな千世もと祈る人の子のため」〈伊勢・八四〉

4 立ち去るにあたって、心付けとして与える金銭。

  • 「―に七百くだんせ」〈滑・膝栗毛・五〉

ここでいう「さよなら」とは、2の 別離のあいさつ です。知人や友人、恋人への別離の意思を伝えるために使う言葉です。
「さよなら。お元気で。また会いましょう。」
こんなふうに使います。
日常を振り返ってみると、一般的な社会人は「さよなら」という言葉を使う機会が意外に少ないことに気づきます。
仕事では、「お疲れさま」、「お先に失礼します。」プライベートでも、「バイバイ」、「またね」などが多いのではないでしょうか。かしこまった場面で「さようなら」ということも稀にありますが、「さよなら」という口語を使うことはありません。
何故でしょう。それは、「さよなら」がはっきりとした別離を示す言葉だからではないでしょうか。「さよなら」とは、単なる別れの合図ではなく、言ったら後戻りできない性質を持つ、人と人とを離れさせる言葉なのです。
ですから、人は「さよなら」という言葉を使うことに慎重になり、なるべく使用しない。使用に適したシーンでも、胸の内でつぶやいて口には出さない。そういった言葉なのではないでしょうか。
そういった一面を見ると、「さよなら」とは短い詩のようなものです。「さよなら」という別離の一言に、(詩人が言葉にしない部分で情感を詠うように)、人は口に出せない想いを込めるのです。
人が「さよなら」と胸の内で想うとき、季節や時間帯によって込める情感が変わるのは当然のことで、だからこそ「さよなら」は淋しさ以上の意味を持つのです。
たとえば、谷川俊太郎さんの、「さようなら」という詩があります。

さようなら 谷川俊太郎
ぼくもういかなきゃなんない すぐいかなきゃなんない どこへいくのかわからないけど さくらなみきのしたをとおって おおどおりをしんごうでわたって いつもながめてるやまをめじるしに ひとりでいかなきゃなんない どうしてなのかしらないけど おかあさんごめんなさい おとうさんにやさしくしてあげて ぼくすききらいいわずになんでもたべる ほんもいまよりたくさんよむとおもう よるになったらほしをみる ひるはいろんなひととはなしをする そしてきっといちばんすきなものをみつける みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる だからとおくにいてもさびしくないよ ぼくもういかなきゃなんない

「さよなら」を言いましょう。
どこへいくのかわからないけど、どうしてなのかわからないけど、「さよなら」を言うべきときがあって、それが最善の方法であれば、「さよなら」は短く素敵なお別れの詩になる、というのが僕の考えです。

最後に、今日の「さよなら」の代わりに、寺山修司『さよならの城』から僕の好きな詩を紹介しておしまいにします。

朝の「さよなら」は舌に残った煙草の味だ。シーツの皺。 モーニング・コーヒーのカップに沈んだ砂糖。そして なんとなく名残惜しく、そのくせすこしばかりの 自己嫌悪がともなう。
昼の「さよなら」は笑顔でできる。すぐまた逢えるような気がする。 だが、一番はっきりと二人をへだてるのは昼の 「さよなら」である。 涙は日が沈んでからゆっくりとあふれ出る。
夕方の「さよなら」は一匙のココアだ。 甘ったるく、そのくせにがい。 夜になったら、また二人は結びついてしまうかもしれないので、 ひどく心にもないことを言って早く別れてしまう。 夕方の「さよなら」はお互いの顔を見ないで、 たとえば、空を見たりすることがある。 だから夕焼けの赤さだけが二人の心に残るのである。
夜の「さよなら」は愛と同じくらい重たい。 人たちがみな抱き合っている時間に「さよなら」を 言うのはつらいことである。