「イッパイアッテナ」の教養学

『ルドルフとイッパイアッテナ』の映画を見ました。

子どものころに読んだ大好きな絵本がアニメで動いているのは、なつかしくも新鮮で、とてもうれしい時間でした。よくできた教科書のような作品だな、というのが一番の感想です。子どもたちに知ってほしい、触れてもらいたい素敵なメッセージであふれていました。

『ルドルフとイッパイアッテナ』では、特に教養の大事さ、教養を前提とした社会の清々しさを感じられます。

「黒ねこがえんぎが悪いなんて迷信だ。そんなことをいまどき信じるのは、教養がねえしょうこさ。」

「ことばを乱暴にしたり下品にしたりするとな、しぜんに心も乱暴になったり下品になってしまうもんだ。」

「絶望はおろか者の答えだ」

「ちょっとできるようになると、それをつかって、できないやつをばかにするなんて、最低のねこのすることだ。教養のあるねこのやるこっちゃねえ。」

「へんな安心がいちばんいけないんだ。いつでも勉強できるなんて思っていると、けっきょく、勉強しなくなってしまうことが多い。いましかできないと思うと、むりをしても、そのときにやるんだけどな。 」

など、原作でも含蓄に富んだ言葉がたくさん出てきます。

僕も、教養が大事にされる世界の信奉者ですが、では、教養とはどんなものなのでしょうか?

「教養」を辞書で調べてみると、

〔一人前の社会人として教え育てるの意〕1.文化に関する広い知識を身につけることによって養われる心の豊かさ・たしなみ。
「教養を高める(積む) 一般教養として  教養のあるなしと品性の豊かさとは元来無関係のものだ。」などと使う。
2.(自己の)専門以外に関する学問・知識

新明解国語辞典より

とありました。

教養は知識そのものを指すこともありますが、それによって養われる心の豊かさを示す言葉でもあります。
僕の好きな作家のひとり、中村航の言葉を借りると「世界三大美徳」に入ってもよいくらい美しいもののひとつだと考えます。

僕は子どものころから教科書が好きでした。勉強は好きではなかったですが、勉強によって得られる知識を愛していました。

子どものころ、先生に「なぜ勉強をしなければいけないの?こんなの社会に出て役に立つの?」と問うたとき、
先生は、「社会に出て役に立たないかもしれないが、勉強しないとよい学校に入れないだろう。学校はその努力を見ているんだよ。」
と答えました。
そのときは、「なるほど、シャレたことを言う。勉強とはそういう性質のものなのか。」
と納得したものですが、いざ社会に出てみると、先生がいうことが嘘っぱちだということがわかります。
「学問」と、それにより身に着けた「教養」は、向上心をもって社会で生きていく上で、必要不可欠なものです。
「国語」も「数学」も「理科」も「社会」も「英語」も、どの仕事をしていてもその仕事で大成したいのならば、絶対的に
必要なものだと、僕たちは実感できるでしょう。
教養とは「善意の示し方」を理解することであり、言葉ではないもうひとつの「共通言語」です。
なればこそ、「教養」がない人間と「教養」を高めている人間との間に会話が成立しない可能性があるのは、まぁ、あたりまえのことでしょう。

デカルトは、

良き書物を読むことは、過去の最もすぐれた人々と会話をかわすようなものである

といいましたが、教養を高めることは、このようにとても贅沢で有意義ことなのだと思います。

 

僕らはイッパイアッテナから教養のなんたるかを学べるはずです。