“ふつうじゃない”がふつうにある
“ふつうじゃない”がふつうにある

西澤にしざわ

出藍の誉

ふつうの生涯を送ってきました

素直で変な子

ふつうの生涯を送ってきました。

私は小さい頃からよく変なことを言う子でした。当たり前のことに疑問を感じ、変な質問で大人をよく困らせていました。たとえば、初めて自我が芽生えたときにした質問は「私が最初に生まれた子なの?」でした。

この質問は、“父や母、おじいちゃんやおばあちゃんは私が生まれる前から生きていたけれど、皆の生まれた瞬間を私は見たことがないので、もしかすると私はこの世で最初に生まれた子なのかもしれない”、というふうに考えた結果生まれた言葉でした。

しかし、母は質問の意味を理解できず、返事をもらうことはできませんでした。上手く言葉を伝えられなかった悔しさは、今でも覚えています。

とはいえ、子どもは誰でも変なことを言うものなので、今思えば、普通の子どもの素直な疑問だったなと感じています。

夢という言葉の重みに気づいた瞬間

小学生や中学生の頃はよく、野球選手になりたい、宇宙飛行士になりたいと、言葉にするだけでちょっと楽しくなるような「夢」を口にしていました。けれど人生の分岐点に立つたび、その言葉の意味が変わっていくことに気づきました。

中学から高校へ、高校から大学へ、そして就職。選択を迫られるたびに、口にしていた「夢」とは似ても似つかない現実的な道を選ぼうとしている自分がいました。

口にするだけの「なりたい」は、本当の夢じゃなかった。
夢とは、その道のりの険しさ、大変さと向き合い、それでも進もうと決めた先にあるものが、本当の意味での「夢」なのだと思いました。

そして、私が本当の意味での『夢』を意識したのは、高校進学の時でした。そのとき私は情報の道を選びました。野球選手でもなければ宇宙飛行士でもないですが、身近なパソコンやスマホを通じて新しいものを生み出せることに魅力を感じたからです。

そして実際に情報について学び始めると、分からないことばかりで難しい壁にぶつかることが沢山ありました。しかし、そんな苦難を乗り越えたときの達成感の方が大きく、あのときの選択は間違いではなかったと今なら思えます。

西澤 西澤

価値のある失敗

個人事業主になりたての頃は、「全部やります!」「任せてください!」という感じで、ひたすら仕事に飛びついていました。この道で本当にやっていけるのかって不安があったからというのも必死だった理由の1つかもしれません。でも、そんな頑張りとは裏腹に、1年経っても目標の顧客リピート率30%には届きませんでした。

今思えば当たり前で、私は頑張る方向を間違えていました。毎日遅くまで作業していたけど、『顧客一人一人に目を向ける』。こんな「当たり前」なことが、必死に頑張っている時には気づけていませんでした。

1年半くらいが経った頃、ある顧客から「あなたに頼んで良かった」と言われました。個人事業主として初めての成功体験です。思えば、その人とは単に仕事をしたんじゃなくて、ちゃんと向き合って、話を聞いて、一緒に考えていました。それからは「ひたすらやってみる」から、感情を乗せた文面にしてみたり、レスポンスの頻度を増やしたり、ユーザが求めているものってなんだろうと考えてたり、試行錯誤して「人との関わり」に意識を変えてみました。

結果、3年後には顧客リピート率の目標30%を遥かに超え、60%を達成する事ができました。
あの時の遠回りがあったから、本当に大切なことに気づけたなと今では感じています。

成功体験は人を強くし、自信を持たせてくれます。
これからも沢山失敗して落ち込むだろうけど、今回の経験を通して、失敗 は挑戦した証・成長の一部なんだとポジティブに考えていこうと思いました。

夢を追いかけるための準備

私にはパッと思いつく「やりたいこと」が沢山あります。でも冷静に見てみると、どれも現実的じゃないものばかりです。
そんな今は叶えられなさそうな夢ばかりですが、それでも、いつか「ここだ!」というチャンスが来た時に、迷わず飛び込める人になりたい。どんな可能性にも飛び込めるように、スキルだけじゃなく、誰からも信頼される人になる。というのが私の目標です。

私の中での将来の展望は、
1年目はとにかく吸収の時期。失敗しながらも、ひたすら学ぶ。
3年以内には「この人に任せたら問題ないよね」って思われるレベルに。
5年以内には信頼を得て、自分の判断で動ける人になる。
です。

加えて、誰かの役に立ちたいという想いもあります。
具体的に“コレ”とかはありませんが、誰かの「感謝」が自分の喜びになるような生き方になればいいなぁと思います。

出藍の誉

『青は藍より出でて藍より青し』という言葉、皆さんご存知ですか?これは、荀子の『勧学篇』の冒頭にでてくる言葉で、''教えを受けた者が教えた者を超えること''を意味する諺(ことわざ)です。私の好きな諺です。

この諺は、藍草(あいぐさ)という草からとった青の染料が、もとの藍草の色より青く美しいことに由来しています。

このまま、「私は『師を超える』、そんな人になりたい。」と締めくくるのもいいのですが、荀子の『勧学篇』の背景を見てみると、学びの質や方法が重要であるという考えがあります。人は生まれながらに未熟であり、適切な学びによってのみ成長できると説かれています。
つまり、誰から学ぶか、どのように学ぶかが、成長には必要なのです。
もちろん、その人の資質も大事ですが、ただ独学を重ねるのではなく、信頼できる師や環境を選び、学びを深めることで、初めて『青は藍より出でて藍より青し』を実現できるのかなと、学びの在り方について改めて考えさせられました。

2025年3月14日
西澤

西澤

Profile

西澤

西澤

ディレクター

1998年7月生まれ。獅子座。高校、大学で情報を専攻。学生時代は広告代理店でアルバイトをしていました。大学卒業後WEB制作会社の道に進むことを決意。刺激と夢を求め新たな道を歩んでいます。花と音楽が好き。

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  • いっしょうけんめい記事を書いているから待っててね。

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