“ふつうじゃない”がふつうにある
“ふつうじゃない”がふつうにある

吉富 友希よしとみ ゆうき

夢中こそ人生の魔法のようなもの

ふつうの生涯を送ってきました

「好き」なことだけやってきた

実家は、印刷関係の会社だったので、家にはたくさんの紙とたくさんの色鉛筆がありました。
ピンクが好きで、100色もあったのに、ピンク以外の色鉛筆はぜんぜん減りませんでした。幼稚園のお遊戯会の衣装が水色になった時は号泣して泣き止まなかったみたいです。

そしてかわいいものが好き。女の子の好きなことは基本好きな子供でした。女姉妹で育った私の家には、シルバニアファミリー、リカちゃん人形、たまごっち、おジャ魔女ドレミの魔法ステッキがありました。将来の夢は、お花屋さん、ケーキ屋さん、パティシエ、幼稚園の先生。という当時の女の子の夢ランキング全部セットでした。

学生時代は、授業中に手紙交換をしていました。いまはなき「前略プロフィール」や「りある」にもはまってました。
放課後はガラケーで</br>タグを一生懸命打っていました。#ffc9d2というカラーコードだけは暗記していました。毎日好きなことだけをして、デコメを作り、恋が叶う待ち受けを作り、ギャル文字を覚え、プリクラの落書きに命をかけ、交換ノートをし、雑誌の切り抜きをしてノートをデコり、ハートは10種類くらいは描き分けることができました。筆箱には常に濃さの違うピンクのペンが大量に入っていました。作ったものがかわいいと褒められ、かわいいが正義な日々を過ごしていました。
だからか当時の私は、将来のイメージは相変わらずふわふわしていて、なんとなくの「女の子の夢全部セット」まあ、好きなことができればいいや。と思っていました。

そろそろ進路を決める高校2年生。そんなふわふわな夢を抱いていた私に試練が訪れます。進学校に通っていたし、普通に大学にいくだろうと思っていた矢先、家庭の事情で、真剣に人生と向き合わざるを得なくなってしまいました。
今までふわふわな夢しか抱いてこなかった私だったので、とりあえず夢だったお仕事を全部体験しにいきました。パティシエ学校でケーキ作りをしたり、児童館のスタッフをしたり、ブライダルの体験授業に行ってドレスを着せてもらったり、お花屋さんでアルバイトをしたり。

あれもこれもやりたいと夢みがちだった私に、
「デザイナーになれば、全部できる。子供に関わる絵本を作ることも、お花屋さんのロゴデザインやラッピングを作ることも、ケーキ屋さんのメニューを作ることも。」と当時参加していたワークショップの先生に言われた時、なにかを作ることが好きだけど、なんだか決めきれなかった私の進路が「デザイナー」という道に分岐した瞬間でした。

ピンク=かわいい=正解」

晴れて私は、デザインの専門学校に進学します。女の子の夢全部セットを違う形で叶えるべく、「かわいいデザイン」を作りに行きました。

最初のグラフィックデザインの授業でいきなり挫折をしました。
どういう意図で作ったか説明してくださいとの問いに、かわいいから作りました。
以上ですと自信満々で出したデザイン。
ーー「かわいいからなんなの?」と言われ、
私が作ったデザインに「死」と書かれました。
今までに味わったことのない衝撃で、目の前の世界が全てグレーに見えました。

かわいいこと。ピンクを使うこと。
それだけがこれまでの私の中にある正解だったのです。

そこで初めて、「デザインは好きなものを作る」ことではなく、
「デザインは問題解決である」と知りました。

自分の世界で、自分の好きなものだけを作って評価され、自分の好きなものだけに囲まれて、好きな人とだけ関わっていた世界が崩壊した瞬間でした。「かわいい」に意味なんて考えたことはありませんでした。そこではじめてつくることの意味を考え、頭を使い始めました。

そこからは毎日が衝撃の連続でした。
ご縁がありデザイン会社でインターンをし、デザインとはなんなのかをみっちりと叩き込まれました。東京で生まれたくせに、制服を着て原宿に遊びに行っていたくせに、最先端の東京の街中にあふれているデザインを全然知りませんでした。
やりたいことをやってきたが故に、自分の興味のないことを何一つ見て来なかったことに気付きました。


そこからは、水を得た魚のように外に飛び出したくさんの人と出会い、彩りある世界を実際に見て、「ピンク=かわいい=正解」以外の正解をたくさん知りました。


淡くて切ない感情の色を教えてくれた人がいました。
オレンジの思わず元気になれる明るさを、
太陽の位置によって自然の緑色が違ってみえることを、
どの色にも寄り添える黄色の万能さを、
時間が経つほど奥行きと深みの出る真鍮色を、
ドロドロとした赤の力強さを、
静かな夜の深い海の色を、
南国で見た紫の空の色を、
ティファニーブルーのときめきを、
薄暗いバーで飲むジントニックの透明感を、
リッチブラックの、強いけれど調和がとれないもどかしさを、
どんな炎に焼かれてもただ一つ残るグレーの優しさを、
白い光の本当の強さを。

人と触れ合うことで、会話をすることで、今までは見えなかった視点から、いままでは考えもしなかった組み合わせで世界を見ることができるようになりました。

吉富 友希 吉富 友希

全ての経験をプラスにできる。


少しの影を足すことで、
魅力を増すことができること。

減らしたり、離すことでお互いが輝くこと。

最適なもの同士を組み合わせると
美しくなること。

指し色を入れることで、
調和がとれること。

異世界にあるもの同士で
化学変化を起こすことができること。



これらはすべて、パソコンの前ではなく、人と関わり、
五感を通して学んできました。


科学の授業で、
公園のベンチで、渋谷の人混みで、
どこまでも行けそうに思えた深夜のドライブで、
気を抜いたら何かを失いそうなドミトリーで、
パリのロマンチックな街並みで、
30℃の炎天下の中走り続けた夏合宿で、
二度と体験したくないような修羅場で、
危ないと知りながら溺れかけた深い沼で、
くだらない話をした立ち飲み屋さんで
酔っ払って歯を折った帰り道で、
とびきりの贅沢をした沖縄のスイートルームで
少し緊張する価格帯のハイブランドのお店で、
仲間と作り上げたイベントで、
未来を語ったあの場所で、
これから満開になる夜の桜の木の下で。

この経験全てがデザインをする上で生きています。
一見辛かっただけに見える出来事も、それを経験する前の私にはアイデアが生まれなかったであろうデザインがあります。
自分の世界の中だけで、ちいさな成功だけを繰り返していた私には作れなかったものばかりです。失敗が別のアイデアの種になるのでデザイナーという職業は、全ての経験をプラスにできる最高の職業だなと思います。

あの日、初めてデザイナーという職業に
「認めてもらった」気がした。

「好き」だけでなく、いろんなものを見て体験することでたくさんのアイデアが生まれる。ということを知り、自分の「好き」以外の世界を否定しなくなったあの日に、私は初めてデザイナーという職業に認められた気がしています。

最近はWebデザイナーという職種が有名になってきて、憧れてくれる人が増えました。
だけど、昔の私と同じように、好きなデザインだけを正解としていて、もちろんその形も一つの正解ですが、お仕事にするには苦しんでいる人がたくさんいるのではないかと思います。好きなことを仕事に!がフォーカスされている時代に、私は「好き」なことだけをしていて、とっても狭い世界にいたから。

好きなものを作るだけではなく、デザインというのは問題解決だということ、アイデアは経験から生まれるということ、正解は人の数だけイッパイあるということを伝えて、世の中にデザインの力で正解を作っていける人を増やせる人になりたいです。

女の子の夢全部セット。

デザイナーになって、一から企画をして、ケーキを焼き、メニューを作り、カフェを開いたり、結婚式のトータルデザインをしたり、ハロウィンイベントで子供たちにフェイスアートをしたり、お花のアレンジメントをしてお祝いをしたり。
気づいたらあの頃に思い描いていた女の子の夢全部セットが私なりの形で叶っていました。

出会ってきた人々が私にたくさんの色の素晴らしさを教えてくれたから、
いまでは、100色全ての色鉛筆を使いこなせるようになりました。

どの色の思い出も、すべて大切な宝物で、私を構成する色の一つです。

あのままピンクだけを貫いていたら、自分の世界を表現するアーティストの道もあったかもしれません。ですが、色の素晴らしさを知ることができたから、誰かが描いた「おもい」に、私の中にある100色以上の選択肢の中から、とっておきの彩りを加えて、最適な「かたち」にすることが今の私の得意なことになりました。

これからもみたことのないような色を組み合わせた新しい形の正解を、デザインの力を使ってあなたと一緒に描いていきたいなと思っています。

2022年3月30日
吉富 友希

吉富 友希

Profile

吉富 友希

吉富 友希

執行役員/アートディレクター

吉富 友希(よしとみ ゆうき) 1994年11月28日生まれ。執行役員/アートディレクター。デジタルハリウッドbyLIG講師。表現の自由さを最大限に生かしながら、論理的に効果を生み出し、愛されるデザインを日々目指しています。ジントニックをのむとごきげんになります。

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